三 権 分立。 日本国憲法における三権分立(権力分立)とは

三権分立の図をわかりやすく解説してみた!

三 権 分立

三権分立と司法権 まず、国を統治するために必要な「三権」について考えてみます。 「三権」とは、 立法権・行政権・司法権のことです。 日本では、立法権は国会に、行政権は内閣に、そして司法権は裁判所に属しています。 このように、三権が一つの組織で機能されるのではなく、 それぞれ別の組織によって機能させることを三権分立といいます。 もし、三権が一人の手で機能する国だったらどうなるのか考えてみましょう。 ある国では、王様が絶大な権力を持っていて国の統治に関する事柄を全て自分が決めています。 国のルールを作り(立法権)、そのルールに基づいて政策を実行(行政権)し、もしルールに違反する者がいれば罰する(司法権)。 全てを王様が担っています。 その王様が人間的に素晴らしく、利他的で、誰に対しても公平であり、国民から絶大な信頼があれば問題ありません。 ところが、傍若無人な振る舞いをする王様だったらどうでしょう。 ルールの変更など日常茶飯事。 気に食わないものがいればルールを変えて罰することも自由自在で、誰も王様に意見を言えなくなってしまいます。 このような状態を防ぐために、憲法で三権をそれぞれ別の組織により機能させることで、特定の誰かに権力が集中することを防いでいるのです。 司法権の独立 日本では、三権分立といいながらも立法権を持つ国会と行政権を持つ内閣は非常に結びつきが強い状態です。 もっと言えばほぼ一体といっても過言ではありません。 なぜなら立法権を持つ国会議員の中から 行政権を持つ内閣に属する大臣が選ばれるのですから当たり前かもしれません。 しかし、司法権を持つ裁判所は明確に分離されています。 裁判所が国会や内閣のいうことを聞いて裁判を行っていたら公平な判決など期待できません。 このことを 司法権の独立といいます。 一部の独裁国を除き、日本のように立法権と行政権が近い関係にあっても、司法権だけは明確に独立させている国がほとんどなのは、立法権と行政権を持つ組織が暴走しないように、 司法権を持つ組織(いわゆる裁判所)が監視できるようにしているのです。 つまり、司法権を独立させるということは、特定の権力者が暴走しないためにはとても重要なことです。 また、司法権は、人を罰することのできる権利ですので 行使するにはしっかりとした仕組みが必要です。 司法権を担う裁判官 司法権は裁判所に属すると述べてきましたが、実際にその権利を行使するのは人である裁判官です。 ちなみに検察庁は行政機関だから注意 裁判官は、自己の良心に従い、 憲法と法律にのみ拘束されます。 つまり、他の権力者や国民の意見に左右されることなく自分の持っている常識と憲法・法律で判断を下すということです。 だから多少なりとも国民の期待に反する判決であったとしても国民は何もすることはできないのです。 そのため、裁判官は、法律に関する豊富な知識はもちろんのこと、世の中の常識や人間性も大切であることから、それらを維持・向上していくために日々大きな努力しなければならず、 とても大変な職業であることが伺えます。 もし、裁判官が特定の権力者と癒着していたら、公平な裁判など望むべくもなく、ある一定の人に有利な判決ばかりとなります。 それは独裁国となんら変わりありません。 司法権をより身近に 日本では2009年から裁判員といって、刑事裁判に限り国民から選ばれた者が裁判に加わる制度が始まっています。 これまでは、裁判は裁判官・検察官・弁護士という法律の専門家を中心に行われてきましたが、判決が国民に分かりにくいものであったり、裁判が長期間に及んだりと国民に馴染みが薄いものとなっていました。 しかし、国民に司法参加してもらうことで、国民が持つ知識や感覚・視点を取り入れ国民に分かりやすい裁判を実現することを目的としています。 裁判員は、20歳以上で選挙権のある人からクジで選ばれるため、誰がいつなってもおかしくはありません。 もし、裁判員に選ばれたときには、他人の影響を受けることなく、自分の知識や常識・法律をもとに判断してください。 裁判員に選ばれたということは、司法権を行使する権利を得たのです。 頭の片隅に司法権の独立を留めながら望んでくださいね。

次の

日本国憲法における三権分立(権力分立)とは

三 権 分立

三権分立と司法権 まず、国を統治するために必要な「三権」について考えてみます。 「三権」とは、 立法権・行政権・司法権のことです。 日本では、立法権は国会に、行政権は内閣に、そして司法権は裁判所に属しています。 このように、三権が一つの組織で機能されるのではなく、 それぞれ別の組織によって機能させることを三権分立といいます。 もし、三権が一人の手で機能する国だったらどうなるのか考えてみましょう。 ある国では、王様が絶大な権力を持っていて国の統治に関する事柄を全て自分が決めています。 国のルールを作り(立法権)、そのルールに基づいて政策を実行(行政権)し、もしルールに違反する者がいれば罰する(司法権)。 全てを王様が担っています。 その王様が人間的に素晴らしく、利他的で、誰に対しても公平であり、国民から絶大な信頼があれば問題ありません。 ところが、傍若無人な振る舞いをする王様だったらどうでしょう。 ルールの変更など日常茶飯事。 気に食わないものがいればルールを変えて罰することも自由自在で、誰も王様に意見を言えなくなってしまいます。 このような状態を防ぐために、憲法で三権をそれぞれ別の組織により機能させることで、特定の誰かに権力が集中することを防いでいるのです。 司法権の独立 日本では、三権分立といいながらも立法権を持つ国会と行政権を持つ内閣は非常に結びつきが強い状態です。 もっと言えばほぼ一体といっても過言ではありません。 なぜなら立法権を持つ国会議員の中から 行政権を持つ内閣に属する大臣が選ばれるのですから当たり前かもしれません。 しかし、司法権を持つ裁判所は明確に分離されています。 裁判所が国会や内閣のいうことを聞いて裁判を行っていたら公平な判決など期待できません。 このことを 司法権の独立といいます。 一部の独裁国を除き、日本のように立法権と行政権が近い関係にあっても、司法権だけは明確に独立させている国がほとんどなのは、立法権と行政権を持つ組織が暴走しないように、 司法権を持つ組織(いわゆる裁判所)が監視できるようにしているのです。 つまり、司法権を独立させるということは、特定の権力者が暴走しないためにはとても重要なことです。 また、司法権は、人を罰することのできる権利ですので 行使するにはしっかりとした仕組みが必要です。 司法権を担う裁判官 司法権は裁判所に属すると述べてきましたが、実際にその権利を行使するのは人である裁判官です。 ちなみに検察庁は行政機関だから注意 裁判官は、自己の良心に従い、 憲法と法律にのみ拘束されます。 つまり、他の権力者や国民の意見に左右されることなく自分の持っている常識と憲法・法律で判断を下すということです。 だから多少なりとも国民の期待に反する判決であったとしても国民は何もすることはできないのです。 そのため、裁判官は、法律に関する豊富な知識はもちろんのこと、世の中の常識や人間性も大切であることから、それらを維持・向上していくために日々大きな努力しなければならず、 とても大変な職業であることが伺えます。 もし、裁判官が特定の権力者と癒着していたら、公平な裁判など望むべくもなく、ある一定の人に有利な判決ばかりとなります。 それは独裁国となんら変わりありません。 司法権をより身近に 日本では2009年から裁判員といって、刑事裁判に限り国民から選ばれた者が裁判に加わる制度が始まっています。 これまでは、裁判は裁判官・検察官・弁護士という法律の専門家を中心に行われてきましたが、判決が国民に分かりにくいものであったり、裁判が長期間に及んだりと国民に馴染みが薄いものとなっていました。 しかし、国民に司法参加してもらうことで、国民が持つ知識や感覚・視点を取り入れ国民に分かりやすい裁判を実現することを目的としています。 裁判員は、20歳以上で選挙権のある人からクジで選ばれるため、誰がいつなってもおかしくはありません。 もし、裁判員に選ばれたときには、他人の影響を受けることなく、自分の知識や常識・法律をもとに判断してください。 裁判員に選ばれたということは、司法権を行使する権利を得たのです。 頭の片隅に司法権の独立を留めながら望んでくださいね。

次の

三権分立とは (サンケンブンリツとは) [単語記事]

三 権 分立

三権分立とは、権分立原理の一種である。 概要 を制定する 立法権、制定されたを執行する 権、の適用について終局的な裁定を下す 法権の三権はいずれもその担い手が別々であり、かつ相互に監視抑制しあうものでなければならないとする原理。 かつてはこれらの権を君などの個人や集団が独占していたため、その濫用がしばしば問題となった。 こうした中で様々な権分立のが考案され、年にの者モンテスが自著「法の精」の中で三権のとその均衡の必要性を提唱。 これがの三権分立原理の原点となった。 なお立法権と権の関係については議院制か制かで大きく異なる。 議院制ではの長であるを立法府の多数が選出し、権を担うは立法府の多数の信任の下でその権限を行使する仕組みになっている。 そのため立法府と府は基本的に対立せず、両者の権分立は非常に緩やかである。 他方で制の場合、民からの直接で選ばれたの支持基盤が立法府では少数に留まるという事態が生じうる。 この場合は立法府と府がしばしばしく対立することになる。 権の濫用を防ぐという点では優れているものの、の停滞を招くおそれもあるため、どちらが優れているとは一概には言い難い。 は議院制を採用しているため、立法権を行使するの多数と権を行使するは同じ勢で構成されている。 ただし二院制である都合上、上院にあたるでの支持基盤が少数に転落し、こちらで立法との対立・緊が発生することはある(ねじれ)。 またではの長である首長を直接で選ぶため、首長と議会の多数が対立するが見られることもある。 日本の場合 では立法権はが、権はが、法権は裁判所がそれぞれ保有している。 相互の抑制均衡を図るために各に与えられたな権限は以下の通り。 (立法府) (実質的には)はの名権を持ち、または不信任決議を可決させることでに解散か総辞職かを迫ることができる。 そのためは、特にの信任くして存続しえない。 また政調権を行使し、に人を召喚して言をさせたり、官庁に資料を提出させたりすることでの監視を行うこともできる。 こちらはでも可。 裁判所に対しては弾劾裁判を行うことでを罷免することができる。 ただし罷免事由があっても辞職せず罷免判決に至るはほとんど居らず、7人だけである(大半がを犯した)。 (府) はを解散しての身分を失わせる権限を持っており、これにより立法府や与党内の対立勢を牽制するとともに、議会内で少数に転落した際にはによる多数奪回に挑戦することができる。 ただを解散させることはできないため、こちらで少数となったは対応に苦慮することになる。 裁判所に対してはの任命権を行使することでを及ぼしている。 権を担う政権党が判事を選ぶという構造上、政権党(の一党優位の下では基本的に)に都合のいい人材が多数を占めるという傾向は避けられず、法権の度が低くなる一因となっている。 裁判所(法府) が制定したの適合性を審し、違効判決を下す権限を持つ…が法関係を除いては滅多に行使されることはい。 また違判決を下した場合でもがそれに基づく正に抵抗したり 、の判事任命権を利用して判事の構成を少つ変更し、合判決への判例変更を促す場面も見られる。 府に対しては、個々のが行った処分等を訴訟の場で審理し、や・条例に照らして効であるとの判決を下す権限を与えられている。 関連商品 関連項目• なお当記事の~第7版では、当時の多数党でを構成していたの副の「で多数の議席をいただいた政権党が、立法府でイブを取るだけではなく、も組織する。 あえて言えば、立法権と権の両方を預かる」との発言を取り上げ、「ので習う三権分立を理解していない」「権の癒着を宣言」などと非難する内容になっていた。 上述の通り議院制の下では立法権を行使する立法府の多数が府を組織するので、政権党が立法権と権の両方を預かるという表現は格別おかしなものではない。 ちなみに~第7班の記事では議院制と制の三権分立の相違点について一切触れていない。 外にを向けると、では政権交代を繰り返すことで結果的にに名された判事の党構成が偏らないようになっており、では左右の二大が半数ずつ裁判事をして互いに賛成票を投じる旨の合意を交わすことで党的なを取っている。 近年では非嫡出子の相続分格差に対する違判決を受けて出された正案に対し、ら右の議員が抵抗しを非難する一幕が見られた。 最終的にを始め大半の議員は三権分立を尊重して正案に賛成票を投じたが、都ら一部の議員は自らのイデギーを重んじて採決を棄権した。 一例を挙げると、の全逓中郵事件をきっかけにがのスト権を一部認めたことを受け、官労と社共両党の勢拡大に繋がりかねないと危惧したは法制度調会を設置。 判事任命時のを厳しくすることで判例変更を促し、の警職件において8対7の僅差で再び全面を合とする内容の判例変更に成功した。

次の