横山 裕 虐待。 関ジャニ∞横山裕の生い立ちまとめ。虐待母の急死弟の記憶喪失

横山裕の生い立ちが壮絶!母の死因や義父の虐待など!実の父親は?

横山 裕 虐待

ちなみに名前についてはジャニーズとしては珍しく本名じゃありません。 なんでも、 ジャニー喜多川社長から 「侯隆(きみたか)長いし難しいからYOUは裕にしちゃいなよ!」 と言われたことがきっかけなようです。 弟は義父と実母の間の子で、 次男の勤くんが6歳年下 三男の充くんが8歳年下です。 この母親が再婚した旦那(義理の父)とは全く馴染めず、 反発していたために嫌われて暴力を振るわれていたそうです。 そうでなくとも幼い子供に暴力に訴えて 服従させるような親が良いはずがないのですが。 時には 棒まで使用して虐待してきたとのこと。 これは人間性が疑われます。 結局横山くんは義父と離れて、母方の祖父母と暮らすようになります。 その後祖父が他界し、再び母と暮らすことになりました。 同時に再び義父と暮らし始めたのですが、 関係が良くなることはなく相変わらず虐待はありました。 しかし横山くんもこの頃になると体が大きくなって 戦えるようになっていますし、義父からは働くように言われていて ある程度自分でお金を稼ぐこともできていたのです。 それもあって、きっと反抗していたのでしょう。 彼が16歳のとき両親は離婚をし、義父は 家を出ていったのです。 もともと横山くんの母親とも上手くいってなかったんだと思います。 が、二人の義理の弟は母が引き取り母子家庭なので 当然ながら生活は非常に貧しかったそうです。 その義理の弟たちとはなかなか馴染めませんでしたが、 再び一緒に暮らすようになってからは非常に仲良しになりました。 バレンタインのチョコ誰が一番多く ゲットできるか競争したりもしたんだとか。 そのときは三男の充くんが勝利したようです。 充くんはまだ当時小学校低学年なのですが(笑) 横山裕くんは 実母のことも義理の弟のことも大好きです。 小さい頃「おにぎり」と発音できずに 「オニギシ」と言っていたことが由来という、 横山くんの 人生そのものが詰まった曲です。 お母さんの作ってくれたおにぎりは少し塩辛かったけど、 でも決して忘れることのできない特別な味。 そのお母さんに対しての感謝の気持ちと愛情を 目いっぱいに表現した歌詞となっています。 「 横山くんによる、母に対しての感動のコメントです。 おかんの性格は適当だけど心配性。 めちゃくちゃ何回も電話してくる。 僕が電話してくるなと言うので、もうだいぶ減りましたけど。 でも、やっぱりね、できるときに何かしてあげな、と思います。 おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなってより一層そう思うようになりました。 コンサートを見に来ることが楽しみであれば、来てもらって楽しんでもらえればいいなって。 体にだけは気をつけてほしいと思っています。 特に持病もなく、それまで普通に元気だったのが 嘘のような急な出来事に横山くんは当然絶句しました。 当時まだ 50歳。 もちろん前月のコメント内容からみても いつかは、と覚悟はしていたでしょうけど・・・・・。 いくらなんでもまさかの出来事だったでしょう。 人間はいつどこでどうなるか、本当にわかりません。 しかもこのときちょうど横山くんが ソロツアーをしていて、その亡くなった当日もライブがありました。 当然ながらそこで歌う「オニギシ」には、 これ以上ないほどの重みがあったことだろうと思います。 お母ちゃん、ボクは何してあげられた? 優しかった? もっと一緒に笑いたかったな。 でももうそれも遅いんやな お母ちゃんは楽しかったんかな やっぱり僕、おにぎりじゃなくてオニギシが食べたいねん こんな歌詞があるのですが、あまりにもリアルですよね。 横山くんがこの詩を書いた当初、お母さんはまだご健在でした。 でもそれに対して決してネガティブにならず、 「俺は人生で苦労していない」と言ってるんだとか。 こう言えるのは本当に立派ですよね。 確かに、この世の中には横山くんよりも もっと大変な環境に置かれている人たちもたくさんいます。 お母さんには 愛されていたわけですし、気の合う兄弟もいた。 そして 祖父母も支えてくれていたわけですからね。 さらなる苦労を経験してる人たちのことを考えたら、自分の人生なんて まだまだ苦労と呼べないという意味なんだろうと思います。

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横山くんって、本当に虐待されていたんですか??記事で、新しい...

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昨年11月より、NHKで展開中の「#もしかして・・・虐待を考えるキャンペーン」。 2月は、総合、Eテレ、ラジオ、とメディアを横断して、さまざまな番組で子どもの虐待について取り上げる。 このキャンペーンの集大成として、2月29日にはEテレで『 もしかしてしんどい?〜虐待を考えるキャンペーン特番〜』(後9:00〜9:59)を放送。 キャンペーンの顔である、のがMCとして出演する。 全国の児童相談所が対応した虐待の認知件数は過去最多の16万件(2018年)。 胸をしめつけられるような悲しいニュースが続いている。 虐待は冷酷な親だけが犯すのではなく、子どもを愛し必死に育てている親が手をあげるケースもたくさんある。 「もしかしたら、自分も虐待をしてしまっているのではないか」と思い悩む親は少なくない。 今、日本の子育てに何が起きているのか? 2月29日放送の特集番組では、子育てで親が追い詰められていく状況を会社のしごとに当てはめ、その心理を描くドラマや、実際に子どもが児童相談所に保護された夫婦のドキュメンタリー、専業主婦をターゲットにした託児所の取材VTRを通して、親たちが感じている息苦しさを明らかにしていく。 また、子どもが一時保護などに至る前に、困っている親子を支える栃木県日光市の先進的な事例も紹介。 虐待を防ぐために、社会ができることは何か? 子どもだけでなく、親も「助けて」と言える社会になるためにできることを考えていく。 出演は横山のほかに、()、、杉山春(ルポライター)。 虐待について子どもたちにアニメーションで伝えるシリーズ。 制作にあたって、被虐待経験のある当事者にアンケートを行い、「つらかった出来事」や「今苦しんでいる子どもにとって必要な情報は何だと思うか」などを調査し、ストーリーを構成した。 虐待を受けた子どもたちを30年にわたり診療してきた元国立成育医療研究センターの精神科医・奥山真紀子さん監修。

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横山裕の肌が色白できれい!美容の秘訣は?老けない・若く見える理由!

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blogimg. seesaa. その後母親はすぐに再婚し、横山さんが6歳の時に次男、8歳の時に三男が生まれています。 しかし横山さんは母親の再婚相手の義父から邪魔者扱いされることとなり、母親も義父の機嫌を取るために、横山さんを邪険に扱っていたそうです。 母方の祖父・祖母に横山さん一人が預けられ、母と離れ離れにされてしまいます。 4歳だった横山さん、はっきりと記憶に残っているでしょうね。 想像しただけで辛い。 心が痛いですね。 育ての親、祖父の死 その後、幼き日を祖父と暮らす横山さん。 しかし横山裕さんが中学生になった頃、育ての親であった祖父が倒れてしまい、死去してしまう。 cdninstagram. 「ごはんを作ってくれてありがとう」 「いっぱいいっぱい優しさを教えてくれてありがとう」と感謝のきもちや、 休みの日にいつも祖父と一緒に虫取りに出かけていたこと、そして急に虫取りにいけなくなった日のこと。 病院から返ってきた祖父の心臓に機械のようなものがついていたこと。 横山さんが心配すると 「かっこいいだろ」と笑ってくれたこと。 葬儀の日に、親戚が笑顔で送り出すというしきたりを知らなかった横山さんは、「なんで笑ってんねん」と親戚中に切れてしまったエピソードなど。 涙なしでは聞けない、祖父への思いが詰まった曲となっています。 そして、歌詞の最後には「僕にも大切な仲間ができました」と綴られています。 この「413man」は、祖母の体調が悪くなってしまった時に祖母へ贈るために作られた曲だったようですが、完成に間に合わず祖母はなくなってしまったそうです。 再び母と義父の元へ、虐待の日々のはじまり そして祖父の死後、母親の元に再び引き取られる事になった横山さんでしたが、弟さん2人ともすぐには馴染めなかったようです。 思春期ですし、4歳から1人離れて暮らしていたのだから、当然ですよね。 そして横山さんは義父よりネグレクトと暴力という虐待を受けることになります。 意味もなく叩かれたり殴られたりしていたのだそう。 更に義父は実の息子である横山さんの弟にも手をあげ始める。 横山さんは弟を守るため、わざと義父の気を引かせるような行動をとっていたようです。 母が履歴書を送りジャニーズ入り 高校進学を許してもらえず、「稼げ」と言われた横山さんは母親がジャニーズ事務所に履歴書を送りジャニーズ入りすることになります。 img. naver. ジャニーさんから「YOU」と呼ばれていたことから、「裕」となったようです。 twimg. 母子家庭として暮らすことになります。 とても貧乏な生活で4畳2間のアパートだったといいます。 水洗便所でなく、汲み取り式便所。 弟さんから「なんでうちはこんなんなん?」と言われた事がとても辛かった、と横山さんは語っています。 横山さんは母の離婚前の中学生の時期からアルバイトをしながら生活を支え、卒業後は建築会社に就職もしています。 ジャニーズJr.としての仕事が忙しくなった時期に退職をしたものの、会社の社長からは「困ったことがあれば助けになる」という言葉にささえられていた、と本人が語ってます。 その後も日雇い肉体労働のバイトをしながらジャニーズJr.として活動を続けていた横山裕さん。 生活費や弟さん2人の学費、進学費用、全て横山裕さんが稼いでいたようです。 彼は若干10代から一家を支えていたのです。 次第に弟さんとの距離も縮まり、今では大の仲良しに。 安心して暮らせる家族との暮らし。 しかし追っかけファンが家に押しかけるコトを避けるため大阪でひとり暮らしを始める事に。 大好きな母と弟さんと暮らした時間はとても短かったのです。 twimg. fc2. 横山裕さんのソロライブツアーに初めて訪れる母の姿があった。 その際のMCでは見に来てくれた母に向けて 「カラダに気をつけていつまでも元気でいてほしいと思います」 「反抗期のまま育ってしまったのでこんな機会がないと言えないんですけど」 と語った。 そして母への思いを綴った横山のソロ曲「オニギシ」を関係者席に向けて泣きながら歌ったのだそう。 歌詞には 「小さい頃おにぎりと言えなくて、オニギシと言っていた、小さい頃の夢はお母さんと結婚すること」 「オニギシつくってよ」 と、幼き日の横山さんの母への気持ちが綴られていいました。 幼い頃、一番甘えたい時期に母と過ごせなくて、きっと甘え方がわからないまま大人になっちゃったのかなと感じますね。 しかしその直後、1ヶ月後のツアー中の2010年5月16日。 横山さんの母が急死してしまう。 gc-img. 当日の午後4時からコンサートでは予定通り開催されました。 お客様には何も伝えず、普段通りやりきろうとしていたようです。 しかしこの日、ソロ曲「オニギシ」は涙で歌えなくなり、客席に背を向けてしまったようです。 ファンも横山さんの異変に気づいていたようですね。 その日以降のツアーでは、 コンサートラストの画面メッセージに 「家族を大切にね よこやまゆう」 という手書きの手紙メッセージの映像が増えていたそうです。 泣けますね。 gc-img. 実家の整理を関西ジャニーズJr.のメンバーが手伝ってくれたり、母親と行く予定だった韓国旅行にはメンバー渋谷すばるが同行。 メンバーが横山さんを支えたのだそうです。 twimg. 母の死後、涙を見せず一番気丈に振る舞っていたのが横山さんの真ん中の弟さんだったようです。 しかし、母の死の一週間後、急に倒れてしまい目覚めた時には記憶喪失に。 母親の死にまつわる2年間の記憶が完全になくなっていた。 ドラマみたいな話だが、本当に大変だったと横山は語っている。 横山は多忙な中時間を作り、弟のために記憶に刺激を与えるように一緒に思い出の場所に何度も足を運んでみたりしたそうです。 その後2年後に記憶が戻ったようです。 とても家族思いですね。 twimg. 弟さんが結婚する際に、初めは式を挙げない予定だった弟夫婦。 しかし、弟さんの彼女と話してみた所、彼女の本心は式を挙げたいと思っているという事を知った横山さんは 「結婚式を上げろ、男として。 」 と弟さんに説教をしたようです。 本当に素敵なお兄さんですね。 AStudioでは、最後に鶴瓶さんがこう締めくくっています。 「お母さんがなくなった時にヨコ(横山)は、弟は一人前になるまで面倒見ると宣言した。 上の弟は結婚し、下の弟は独立した。 普段おもしろおかしいキャラクターの横山裕さんの意外な一面。 これからますます応援していきたいタレントの1人となりましたね。

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