プロ 志望 届。 プロ野球のプロ志望届って誰でも出せるんですか? 例えば陸上部だけ...

プロ野球志望届をなぜ提出するのか?その理由とプロアマの関係とは?

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プロ志望届とは? プロ志望届とは、プロ野球団に入団を志す高等学校3年在籍者が日本高等学校野球連盟に、大学4年在籍者が大学野球連盟に提出するものです。 ここで言う「プロ野球団」とは、日本野球機構 NPB 、独立リーグ 四国アイランドリーグplus、ベースボール・チャレンジ・リーグ、または、日本女子プロ野球機構所属球団のことを言います。 なるほど!社会人はプロ志望届は必要ないのですね。 それもそうですね、もう社会人なのですから。 社会人野球からプロ入りする選手もいますが、これは転職みたいなものですからね。 一方、高校生や大学生は進学・就職があるということですね。 ちなみに、2003年度までは、高校卒業見込者がプロ野球関係者と交渉するためには、日本高等学校野球連盟の地方組織に退部届を提出する必要がありました。 意外にもプロ志望届が必要になったのは、2004年度からで、結構最近の話なのです。 プロ志望届が必要なかったときは、プロ球団が、大学進学希望者や社会人野球希望者を強行指名するトラブルが続出したこと等があり、プロ志望届が制度化したということです。 強行指名の例• 工藤公康 西武• 桑田真澄 巨人• 城島健司 ダイエー プロ志望届は誰でも出せる? 先程の説明で分かった通り、 プロ志望届が必要なのは高校3年、大学4年在籍者です。 上記に該当しなければ、プロ志望届の提出の必要がありませんが、仮に高校3年で卓球部だった人がプロ志望届を提出することはできるのでしょうか? 笑 結論から言うと、 日本高等学校野球連盟、もしくは、大学野球連盟に所属している選手のみプロ志望届が必要です。 つまり、 高校や大学で、硬式野球部に所属していない選手は、プロ志望届を提出する必要はありません。 過去に、日ハムが硬式野球部ではなく、ソフトボール部だった大島匠選手を指名した例があります。 大島匠選手はドラフト7位指名でしたが、大島匠選手はプロ志望届は提出していないはずです。 ちなみに、社会人選手の場合、高校から社会人入りした場合は3年後、大学から社会人入りした場合は2年後、指名される資格が得られます。 社会人入りして、1年目で指名されることは資格がないので、ありません。 スポンサーリンク プロ志望届の出し方は? プロ志望届は、各都道府県の高等学校野球連盟、もしくは、大学野球連盟のホームページからダウンロードすることができます。 プロ志望届の期限は?高校と大学生で違う? プロ志望届の提出期限は、高校生と大学生で違いはありません。 プロ志望届の提出期限は、ドラフト会議の2週間前までです。 2018年で言うと、ドラフト会議は2018年10月25日 木 に行われますから、10月11日 木 が提出期限ということになります! スポンサーリンク プロ志望届提出者一覧! 2018年版 2018年の高校生の プロ志望届提出者一覧は、こちらのホームページで見ることができます。 個人的には、大学には行かず、早くプロに飛び込んだ方が、成功する可能性が高いと思うんですが、どうするんでしょう? こちらが、 2018年の大学生のプロ志望届提出者一覧です。 プロ志望届とは、プロ野球団に入団を志す高等学校3年在籍者が日本高等学校野球連盟に、大学4年在籍者が大学野球連盟に提出するもので、社会人は必要ない。 プロ志望届が必要なのは、高校3年、大学4年在籍者で、硬式野球部に所属している選手。 過去に日ハムにソフトボール部出身の大島匠選手が指名されたことがあったが、大島匠選手はソフトボール部なのでプロ志望届は提出していない。 プロ志望届は、所属連盟のホームページからプロ志望届をダウンロードして印刷し、記入後提出する。 プロ志望届の期限は、ドラフト会議の2週間前で、高校生と大学生で違いはない。 プロ志望届提出者一覧は、高校と大学それぞれ、日本高等学校野球連盟、全日本大学野球連盟のホームページで確認ができる。 いかがでしたか? ・・・ということで、一般企業に所属している私はプロ志望届は不要ということでした 笑 社会人はプロ志望届が必要ないというのは知りませんでしたね! 毎年色んなドラマがあるドラフト会議ですが、今年は甲子園も非常に盛り上がりましたし、注目ですね!.

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プロ志望届誰でも出せる?出し方や期限は社会人と高校・大学生で違う?

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高校生と大学生が、 プロ野球選手になりたい場合、 『プロ野球選手になりたいです』 と意思表示するものが、 プロ野球志望届。 そもそも、 なんでプロ野球に入りたい人は、 志望届なんてモノを提出するのか? これには、深〜い理由があるようです。 スポンサードリンク なぜ志望届の提出が必要? プロ野球志望届 というものですが、 プロ野球を志す、 全ての人間が提出するのか? というと、決してそうではないようです。 提出義務があるのは、 高校生と大学生。 そもそも何故、 こんな制度が誕生したのか? というと、 大学進学や社会人野球を希望していた高校生を、 プロ球団が強行指名して、 プロとアマとの間でトラブルが続出したことに端を発しています。 1981年 西武・工藤公康、 1985年 巨人・KKドラフト事件(桑田真澄)、 1994年 ダイエー・城島健司 彼らは当初、進学を希望していました。 それを無視して強引に、 ドラフト指名を行いました。 では、 なぜこれがいけないのでしょうか? それには、 プロ野球とアマチュアの深い溝に、 大きく関係があります。 スポンサードリンク プロとアマチュアとの深い溝 日本のプロ野球とアマチュアの関係は、 超が付くほど良くありませんでしたが、 その関係断絶の原因となった、 柳川事件というものがありました。 簡単に言ってしまうと、 社会人野球は、 プロ野球の引退選手の受け皿、 という時期がありました。 しかし、 引退したプロの選手が、 どんどん社会人チームに入ってくると、 それまで地道にやっていた、 アマ選手の居場所が簡単に奪われるばかりか、 チームの強さの秩序も、 元プロ野球選手の入団によって、 大きく左右される為、 ・退団後1年は経たないとダメ ・1チーム3人まで と、アマ側が制限をかけたのです。 しかし、 プロ側がこれに反発。 今まで守られてきた、 そして1番越えてはならない、 『秋の社会人野球日本選手権が終わるまで、 プロ側は社会人選手をスカウトしない』 という協定を破って、 柳川選手をプロ野球に引き抜いてしまったのです。 これが柳川事件。 この事件を境に、 プロとアマの関係は完全に断絶。 プロ野球選手が、 子供に野球を教えることすら出来なくなりました。 と、話が長くなりましたが、 話を戻しまして… アマ側としても、 リーグ運営やレベルアップ、レベル維持の為、 有能な人材が欲しいのです。 しかし、 選手の意思を尊重すると、 大多数はプロ野球に流出します。 その為、 プロ野球になる意思のない選手は、 いわばアマチュア野球を支える貴重な人材。 それを強引にプロ側に引き抜かれては、 たまったもんじゃありません。 そんな経緯と過去の反省を踏まえ、 その線引きをキッチリさせる為に、 志望届が必要となったのです。 責任の所在 また、 2003年度まで、 高校卒業見込者が、 プロ野球球団関係者と交渉するためには、 退部届を提出する必要がありました。 しかし、 退部だと卒業まで、 未成年喫煙・飲酒等の規律違反を問えない可能性があるため、 (ダルビッシュ事件) 退部届ではなく、 野球部に籍を残すことのできる、 志望届に変わりました。 スポンサードリンク 志望届を提出しないと? 高校生に関しては、 夏の甲子園閉幕後に受付を開始し、 プロ野球ドラフト会議開催前まで受け付けます。 プロ志望届の提出を辞退した場合、 大学進学もしくは一般企業就職希望者とみなされ、 プロ野球のドラフト指名を受けることができません。 なので、今では、 強行指名は行われることはありません。 また、 プロ野球志望届を提出して、 指名がなかったり、入団を拒否した場合は、 大学進学(4年) 一般企業就職(社会人野球3年) 待つしかなかったのですが、 2006年からは、 プロ志望届提出者で過去ドラフト指名を受けなかった、 四国アイランドリーグやBCリーグ在籍者は、 高校を卒業した 翌年度 からドラフト指名の対象となることが可能となりました。 つまり、最短で、 高校卒業後1年でプロ野球に指名されることが可能となりました。 まあ、それにはそれなりの実力を、 兼ね備えていないといけませんけどね。 スポンサードリンク 最後に 過去5年のプロ野球志望届提出者の数は、 このようになっています。 2013年:高校生71人・大学生56人 2014年:高校生94人・大学生71人 2015年:高校生78人・大学生81人 2016年:高校生105人・大学生111人 2017年:高校生106人・大学生105人 現プロ野球球団は12チーム 仮に全チーム6巡目までドラフトで指名したとしても、 72人。 そのうち、 志望届提出の義務のない社会人を含めると、 プロ野球選手になるというのは、 本当狭き門であることがわかります。 志望届を出せるだけでも、 なかなかできることではありませんが、 多くの志望届提出者が成功を掴み取れることを、 1番プロ野球ファンとして応援したいと思います。 スポンサードリンク.

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大阪桐蔭、根尾ら4選手がプロ志望届を提出へ

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大正東中時代は大正シニアでプレーした。 酒田南高では1年秋に捕手としてベンチ入りし、2年夏には捕手で7番を打つ。 秋に投手に転向した。 成美大では1年春からリーグ戦に登板し、リーグ通算9勝11敗。 日本生命に入社し、3年目の2017年から活躍。 荒西祐大 1992 ホンダ熊本 玉名工 右右 玉名玉水小で軟式野球を始める。 天水中でも軟式でプレーした。 玉名工では1年夏の県大会にも登板。 2年春の県大会では対球磨工戦で18奪三振を記録。 3年夏は県大会4回戦で敗退。 ホンダ熊本に入社し、1年目から都市対抗に登板し、2014年には148kmもマーク。 柏原中時代も軟式でプレーした。 近江高では2年春から公式戦に登板し、3年春からエース。 関西大では1年春からリーグ戦に登板、2年春からはエースとして活躍。 リーグ通算30勝。 東京ガスに入社し、1年目からリリーフ投手として活躍。 3年春にMVPを獲得し、ベストナイン4回。 リーグ通算23勝5敗、防御率1. 城北中時代は浜松南リトルシニアでプレーした。 常葉菊川高では1年秋にエースとなり、2年春に東海大会に出場。 3年夏は県大会準々決勝で敗退。 九州共立大では1年春からリーグ戦に登板。 リーグ戦通算16勝。 プロ志望届を提出したが指名されず、日本新薬に入社。 大谷中時代は綾瀬シニアでプレーした。 光明相模原高ではエース。 中央学院大では2年春からリーグ戦に登板し、4年夏大学選手権準優勝。 秋にはMVPを獲得した。 リーグ通算20勝10敗。 東京ガスでは1年目から活躍。 深谷中時代は横浜泉シニアでプレーした。 桜美林大では先発投手として活躍、4年秋に3勝をあげた。 日立製作所ではリリーフ投手をつとめる。 星稜中時代も軟式でプレーした。 専修大では4年春ベストナイン。 リーグ通算8勝6敗、防御率2. 三菱日立パワーシステムズ横浜に入社し、都市対抗にも出場。 奈良中時代は横浜青葉シニアでプレーした。 静岡県の桐陽高に進学してエースとなる。 日体大では2年春にベストナインとなるが右腕を故障、4年で復帰した。 新日鉄住金鹿島では1年目から活躍。 緒方太地 1996 沖データ 福岡工 右右 福岡舞松原小で軟式野球を始める。 多々良中時代はボーイズリーグ福岡でプレーした。 沖データコンピュータ教育学院に進学。 門脇中時代は石巻中央シニアでプレーし、控え投手として東北大会に出場。 聖光学院高では1年秋に控え投手としてベンチ入り、2年秋にエースとなり、3年春夏連続して甲子園に出場、U-18日本代表にも選ばれる。 青山学院大では1年春からリーグ戦に出場し、2年春からエース。 リーグ通算3勝9敗。 東芝でも1年目から先発投手として活躍。 上位指名候補。 中津商では2年秋の対由布高戦で8回参考記録ながらノーヒットノーランも記録。 九州国際大では1年春からリーグ戦に登板、2年秋には5勝をマーク、リーグ通算9勝したが中退。 三菱重工長崎に入社して1年目から活躍、2017年統合で三菱日立に移籍した。 桐光学園高では1年冬に三塁手から投手に転向し、3年夏にはエースとなる。 一般入試で同志社大理工学部に進学し、1年秋からリーグ戦に登板、リーグ通算13勝18敗、防御率1. JX-ENEOSに入社し、1年目から先発投手として活躍。 勝野昌慶 1997 三菱重工名古屋 土岐商 右右 可児春里小2年で岐阜東農リトルに入る。 西可児中時代は中濃ボーイズでプレーした。 土岐商では2年秋に東海大会ベスト8。 三菱重工名古屋に入社し、2018年アジア大会代表。 鷹西中時代は尾道シニアでプレーした。 JR東海でサイドスローに転向した。 松柏中時代は軟式でプレーした。 龍谷大ではリーグ通算8勝8敗。 四国銀行では3年連続都市対抗に出場。 中海中時代は軟式でプレーした。 小松商では1年秋にベンチ入り、2夏には金沢高を下して注目を集めた。 3年春からエース。 愛知工大では1年春からリーグ戦に登板。 4年春にはエースとして2部リーグで優勝し、MVPにも選ばれたが、夏に肘を手術して秋は登板できなかった。 愛知大学リーグ1部通算3勝8敗。 パナソニックでは1年目から活躍。 習志野高では2年夏に背番号10の控え投手として甲子園に出場、リリーフで3試合に登板した。 日大では1年春から2部リーグに登板。 3年春にエースとなり、1部に昇格した。 4年秋には5勝1敗をあげてMVPを獲得。 リーグ通算6勝3敗、防御率2. 東京ガスでも1年目から活躍。 星槎道都大では3年秋に4勝をあげてMVPを獲得した。 リーグ通算8勝5敗、防御率1. 東根二中でも軟式でプレーした。 山形中央高に進学して1年夏からベンチ入りしたが、3年夏は背番号11で横山雄哉 阪神 の控え投手。 桐蔭横浜大では3年春からリーグ戦に登板、4年春には4勝をあげてMVPを獲得した。 リーグ通算6勝6敗。 プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダに入社。 十日市中時代も軟式でプレーした。 如水館高では2年夏に甲子園に出場してベスト8。 日本文理大では4年春にエースとなり、春夏連続MVPを獲得。 新日鉄住金広畑でも1年目からエースとなる。 佐々武司 1995 JR九州 博多工 右右 福岡三筑小で軟式野球を始める。 三筑中時代も軟式でプレーした。 沖データコンピュータ教育学院で150kmを記録して、JR九州に入社。 猿渡真之 1993 大阪ガス 飯塚高 右右 小竹南小で軟式野球を始め、小竹中時代も軟式でプレーした。 飯塚高では2年春にはエースとして九州大会ベスト4に進む。 大阪ガスでも1年目から登板。 2年目からは主にリリーフで活躍。 国学院大では、リーグ通算5勝5敗。 杉山一樹 1997 三菱重工広島 駿河総合高 右右 静岡千代田東小代は静岡中央リトルで投手。 静岡東中では軟式で捕手としてプレーした。 駿河総合高に統合校の1期生として入学し投手に復帰。 3年春にエースとなるが、夏は初戦で敗退した。 192cmの長身。 三菱重工広島に入社 鈴木健矢 1997 JX-ENEOS 木更津総合高 右左 袖ヶ浦長浦小で軟式野球を始め、長浦中時代も軟式でプレーした。 木更津総合高でサイドスローに転向、2年秋からエースとなって、3年春に選抜に出場。 JX-ENEOSでは2016年と2018年に三菱日立に補強されて都市対抗に出場。 善 武士 1996 東 芝 多良木高 右右 免田小3年で軟式野球を始め、以来投手。 免田中でも軟式でプレーし、3年のとき県大会3位。 多良木高では1年夏んらベンチ入りし、2年秋に県大会を制して九州大会に出場した。 東芝に入社し、2年目の2016年から先発投手として活躍。 利根中時代も軟式でプレーした。 前橋育英高では2年春に甲子園に出場。 桐蔭横浜大ではリーグ通算21勝8敗。 日本生命に入社。 今年は大阪ガスに補強されて都市対抗に出場、8月のアジア大会代表にも選ばれた。 修徳中時代も軟式でプレーした。 立正大では二部リーグ通算7勝4敗。 湖西中時代も軟式で三塁手兼投手としてプレー。 高島高では2年秋にエースとなる。 龍谷大では右肱を手術し、2年春からリーグ戦に登板。 リーグ通算16勝11敗。 本田鈴鹿では1年目から活躍。 三好中時代も軟式でプレーした。 日進高時代は3年連続して県大会初戦敗退。 名古屋学院大では1年春から三部リーグで登板し、のち二部で活躍。 田中空良 1997 東邦ガス 豊川高 右左 桑名伊曽島小で軟式野球を始める。 桑名長島中時代は愛知西シニアでプレーし、全国大会で準優勝。 豊川高では3年選抜でベスト4に進んだ。 東邦ガスに入社し、2年目の2016年から活躍。 間々田中時代は捕手。 栃木工で投手に転向し、1年夏からベンチ入り。 秋に5番レフトとなり、2年夏は4番を打って控え投手もつとめた。 秋からはエースとなるが、3年夏は県大会2回戦で右肩を亜脱臼。 準々決勝の対大田原高戦では15奪三振を記録したものの、準決勝で敗れた。 専修大では2部リーグで活躍した。 SUBARUでは1年目から都市対抗に出場。 主にリリーフとして登板。 富山凌雅 1997 トヨタ自動車 九州国際大付高 左左 御坊小1年で軟式野球を始める。 御坊中時代は御坊ジュニアタイガースでプレーした。 九州国際大付高では2年夏と3年夏に甲子園に出場。 大宮二中では軟式でエースで3番を打つ。 水戸工では1年秋に遊撃手で4番、2年秋にはエースとなる。 流通経済大では1年春からリーグ戦に登板、2年春からエース。 3年春は6勝0敗で優勝、大学選手権でも準優勝した。 秋に右肘、4年春には右肩を痛めて登板できず、4年秋に復活した。 東京新大学リーグ通算17勝8敗。 プロ志望届を提出したが指名されず日本通運に入社。 1年目から都市対抗に登板。 上位指名候補。 立命館大では先発投手として活躍し、リーグ通算15勝9敗、防御率1. 日本新薬でも1年目から先発投手として活躍。 望洋台中時代に軟式野球を始める。 JX-ENEOSでは3年目に東芝に補強されて都市対抗に出場した。 祝吉中時代も軟式でプレーした。 都城商では九州大会に出場。 九州産大では3年で活躍したが、4年で故障。 福岡6大学リーグ通算7勝4敗。 板東湧梧 1995 JR東日本 鳴門高 右右 鳴門板東小2年で軟式野球を始め、大麻中時代は軟式でプレーした。 鳴門高では2年春夏の甲子園にベンチ入り、3年春夏はエースとして出場し、夏はベスト8。 JR東日本では2年目の日本選手権に登板。 串川中時代は相模原南シニアでプレーした。 横浜隼人高では3年春の県大会で優勝。 横浜商大では4年秋に6勝をマーク。 リーグ通算17勝7敗、防御率2. JX-ENEOSでは主に中継ぎ投手として活躍、入社以来2年連続して補強選手として都市対抗に出場。 佐野中時代も軟式でプレーし、府大会ベスト4。 大阪桐蔭高で2年春からベンチ入りしたが、藤浪晋太郎 阪神 の控え。 3年夏も背番号11で、甲子園で春夏連覇したものの登板はなし。 同志社大ではIgA腎症の闘病を経て、3年春からリーグ戦に登板。 リーグ通算8勝4敗。 本田鈴鹿では1年に都市対抗に出場。 臨港中時代は川崎ボーイズでプレーし、3年の時に県大会優勝。 桐蔭学園高では2年秋からベンチ入りし、3年夏は県大会準優勝。 法政大では1年春からリーグ戦に出場、3年春に初勝利。 リーグ通算9勝4敗。 栗原中時代も軟式でプレーした。 近大福山高3年夏は初戦敗退。 近畿大では1年春からリーグ戦に登板。 リーグ通算6勝8敗。 日本製紙石巻では2年目から活躍。 宇和海中でも軟式でプレーした。 松山商では1年秋にエースとなる。 大阪学院大では1年春からリーグ戦に登板。 リーグ通算18勝。 プロ志望届を提出したが指名されず、西濃運輸に入社。 阿佐ヶ谷中時代は東京和泉リトルシニアでプレー。 日本航空高では2年秋からエース。 立正大では1年春からリーグ戦に登板、3年春から先発投手として活躍した。 4年春には3勝をあげる。 東都大学二部通算8勝5敗。 NTT東日本でも1年目の春から先発投手として活躍。 2018年アジア大会代表。 鹿島西部中時代も軟式でプレーした。 福岡大ではリーグ通算12勝4敗。 2016年三菱重工長崎に入社、2017年は統合で三菱日立に移籍。 藤山台中時代はボーイズリーグ名古屋でプレーした。 日新中時代も軟式でプレーした。 塔南高では1年春からベンチ入りし、秋にはエースとなって初めて近畿大会に出場した。 日大では2年秋からリーグ戦に登板。 2部通算8勝6敗。 セガサミーでは1年目から公式戦に登板し、2015年夏の都市対抗で活躍。 山田将司 1995 三菱自動車岡崎 岩津高 右左 大林小1年で軟式野球を始める。 末野原中時代にアンダースローに転向した。 岩津高では1年夏から公式戦に登板し、秋からはエース。 三菱自動車岡崎でも1年目から登板。 190cmの長身。 山本健太郎 1993 東海理化 星城高 右左 豊田市木小で軟式野球を始める。 豊田高橋中時代は豊田シニアでプレーした。 田沼東中時代は佐野シニアでプレーした。 日大では4年秋にリーグ優勝。 192cmの長身。 加治中時代も軟式でプレーした。 飯能南高3年夏は県大会3回戦で敗退。 上武大では4年春に最多勝とMVPを獲得、大学選手権でも優勝してMVPを獲得。 秋にも最多勝を獲得した。 セガサミーに入社として1年目から活躍、日本代表入り。 高野台中時代は千里山ボーイズでプレーした。 関大北陽高では2年秋に内野手から投手に転向、3年夏の府大会では26. 1イニング連続無失点を記録した。 関西大では4年夏に大学日本代表入り。 パナソニックでも1年目から先発投手として活躍し、都市対抗では1回戦の三菱自動車岡崎戦で14奪三振を記録。 吉田奈緒貴 1993 JR九州 宮崎商 右左 新富上新田小で軟式野球を始める。 上新田中時代は宮崎リトルシニアで全国大会に7回出場した。 宮崎商では1年夏からエースとして登板、秋には九州大会に出場した。 秋田中央高では1年春からベンチ入り、2年夏は背番号10で県大会準優勝。 秋にはエースとなって東北大会に進出したが、3年夏は県大会初戦で敗れて甲子園には出場できなかった。 函館大でも1年春からリーグ戦に登板、秋にはノーヒットノーランも達成、5勝0敗、防御率0. 00をマークした。 4年秋の旭川大戦では151kmをマークした。 プロ志望届を提出したが指名されず、新日鉄住金鹿島に入社。 東海大四中時代も軟式でプレーした。 北海道栄高では2年春にベンチ入りし、秋からエース。 関東学院大では1年秋からリーグ戦に登板。 4年春には7勝をあげた。 リーグ通算15勝。 プロ志望届を提出したが指名されず、JR東海に入社、1年目から活躍。 瀬崎中時代は川口ボーイズでプレーした。 喜多亮太 1996 セガサミー 敦賀気比高 右右 鶴浜小で軟式野球を始め、大正西中時代は大正シニアでプレー。 敦賀気比高では1年春からベンチ入りし、秋にはレギュラーとなり、5番を打つ。 2年秋には4番で主将もつとめ、3年選抜ではホームランを打った。 プロ志望届を提出したが指名されず、セガサミーに入社。 3年目の2016年にレギュラーとなる。 北中野中時代は東京和泉シニアでプレーした。 千葉経済大付高では捕手で4番を打つ。 帝京大でも2年春に正捕手となり、4年では主将。 日本通運でも1年目から都市対抗と日本選手権に出場した。 藤間中時代はいわきボーイズでプレーした。 東北高では3年夏に捕手で4番を打って甲子園に出場。 東日本国際大では2年春から正捕手とにり、4年春には打点王とMVPを獲得。 ベストナイン5回。 JR東日本東北でも1年目から正捕手として活躍している。 柘植世那 1997 ホンダ鈴鹿 高崎健大 高崎高 右右 高崎矢中小1年で軟式野球を始め、矢中中時代は藤岡ボーイズで捕手で4番を打った。 高崎健大高崎高では1年夏に控え捕手としてベンチ入り。 秋にはレギュラーとなり、2年夏から3季連続して甲子園に出場。 高校通算32本塁打。 プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 2年目からレギュラーとして活躍。 波崎三中時代も軟式でプレーした。 ホンダに入社して1年目は外野手としてプレーしたが、2年目に正捕手となる。 犬飼中時代も軟式でプレーした。 文星芸大付高では関東大会に出場。 明大では3年秋にベストナイン。 ホンダ鈴鹿では1年目から4番を打つ。 瀬谷中時代は瀬谷シニアでプレーした。 東海大相模高では甲子園準優勝。 東京ガスでは1年目からショートのレギュラーとなる。 東大阪盾津中時代は東大阪リトルシニアでプレー。 大阪桐蔭高では控え捕手として甲子園に出場した。 創価大では2年春秋連続MVP、3年秋は打点王を獲得。 プロ志望届を提出したが指名されず、日本通運に入社。 1年目は外野手で4番を打ち、2年目に三塁手に転向。 星稜中時代も軟式でプレーした。 星稜高では甲子園ベスト4。 亜細亜大では3年連続して大学日本代表に選ばれた。 青森山田中時代は青森山田シニアでプレーした。 HONDAでは1番打者として活躍。 牛津中時代は黄城ボーイズでプレーした。 佐賀商では1年夏から三塁手で5番を打って県大会準優勝。 富士大では1年春から三塁手で3番を打つ。 4年で二塁手に転向。 ベストナイン3回。 三菱日立では1年目から二塁手のレギュラーとなる。 玉中時代は玉野シニアでプレーした。 玉野高ではショートで4番を打つ。 大体大では1年春から阪神リーグに出場し、2年春からはショートで4番。 ベストナイン3回。 JR西日本でも遊撃手で、2018年アジア大会では4本塁打を記録した。 中山悠輝 1995 東京ガス PL学園高 右右 平田小2年で軟式野球を始める。 平田中時代は投手兼捕手としてプレーした。 PL学園高に野球留学し、1年夏にベンチ入り、秋には4番打って三塁手兼投手。 2年秋に遊撃手に転向。 3年は春夏ともに不祥事で出場辞退。 東京ガスでは1年目の春から公式戦に出場している。 飯山中時代も軟式でプレーした。 高知高では1年夏に二塁手で6番を打ち、秋からは三塁手、2年春からは4番を打つ。 3年春に甲子園に出場。 亜細亜大では1年春からリーグ戦に出場、椎間板ヘルニアの手術を経て、3年秋に二塁手として復帰、首位打者を獲得した。 プロ志望届を提出したが指名されず、パナソニックに入社、1年目から3番を打つ。 府中七中では調布シニアでプレーした。 東海大菅生高では6番を打つ。 国際武道大に進学し、2年から4番。 4年春には首位打者とMVPを獲得し、夏には大学日本代表に選ばれた。 ベストナイン1回。 JR東日本では1年目から活躍。 宿戸中時代も軟式でプレーした。 久慈東高ではショートで1番を打つ傍ら、リリーフ投手もつとめた。 白鷗大では1年春からリーグ戦に出場。 3年春盗塁王、4年春首位打者を獲得、ベストナイン2回。 東芝でも1年目から遊撃手のレギュラーとなる。 2018年アジア大会代表。 前野幹博 1995 ヤマハ PL学園高 右左 猪名川小で軟式野球を始める。 猪名川中時代も軟式でプレーした。 PL学園高では1年の5月から出場、夏にはレフトで5番を打ち、府大会で2本塁打を記録。 高校通算15本塁打。 ヤマハでは1年目から公式戦に出場し、3年目の2016年にレギュラーとなる。 小3から2年間はシンガポールで生活。 川崎野川中時代はボーイズリーグでプレーした。 国学院久我山高では1年秋から遊撃手で3番を打ち、2年選抜に出場。 中央大では1年春からリーグ戦に出場。 ベストナイン2回。 プロ志望届を提出したが指名されず、HONDAに入社。 仁方中時代はヤングリーグの呉でプレーした。 広陵高では2年春夏連続して甲子園に出場。 早大では右肘靭帯を手術、4年春に首位打者を獲得した。 リーグ通算2本塁打、打率. 306。 JR東日本に入社し、2年目から4番を打つ。 東海大相模中時代は青葉緑東シニアでプレーした。 東海大相模高では選抜で優勝。 東海大でも大学選手権で優勝し、大学日本代表にも選ばれる。 2018年アジア大会代表。 府中八中時代は武蔵府中シニアでプレーした。 桐蔭学園高では控え。 桜美林大では二塁手で1番を打ち、4年秋に神宮大会で準優勝。 2018年夏はセガサミーに補強されて都市対抗に出場。 両国中時代はボーイズリーグでプレーした。 日大三高では主将として甲子園優勝。 法政大では1年春からリーグ戦に出場。 4年では主将となり、秋にはベストナイン。 プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社。 龍谷大平安高では一塁手で3番を打ち、2年夏と3年夏に甲子園に出場。 高校通算25本塁打。 国学院大では1年春から一塁手のレギュラーとなる。 3年春からはライトで4番を打つ。 ベストナイン2回。 プロ志望届を提出したが指名されず、日本新薬に入社。 法政大ではリーグ通算3本塁打、打率. 295。 JR西日本では5番を打つ。 三和北中時代は小山ボーイズでプレーし、関東大会優勝。 浦和学院高では甲子園に3回出場、3年夏には2本塁打をマーク。 東洋大では1年春から4番を打ち、4年秋には首位打者を獲得。 東京ガスでも入社直後から4番を打つ。 2018年アジア大会代表。 関城中時代も軟式でプレーした。 3年秋はMVP。 ヤマハでも1年目からレギュラーとなる。 東浦中時代も軟式でプレーした。 関西学院大ではベストナイン1回。 2018年は都市対抗で優勝し、橋戸賞も受賞、アジア大会代表にも選ばれた。 原中時代は富士ボーイズでプレーした。 静岡高では1年夏からベンチ入り、秋には三塁手のレギュラーとなり、2年夏に3番を打って甲子園に出場。 秋からは外野手に転向した。 高校通算23本塁打。 早大では1年春からセンターで1番を打って出場。 3年以降は主に7番を打つ。 リーグ通算4本塁打。 JFE東日本でもセンターとしてプレー。 中村優作 三菱自動車岡崎 金沢高 右左 宇ノ気小で軟式野球を始め、宇ノ気中時代も軟式でプレー。 金沢高では1年秋に外野手のレギュラーとなり、2年春夏連続甲子園に出場。 三菱自動車岡崎でも1年目からレギュラーとなる。 佐野北中時代は佐野ボーイズでプレーした。 横浜高では2年春から3季連続して甲子園に出場。 関東学院大では4番を打ち、首位打者を獲得。 ベストナイン2回。 JR東日本でも1年目から活躍。 神奈川大では2年春からリーグ戦に出場し、1番を打ってレギュラーとなる。 リーグ通算打率. 279。 プロ志望届を提出したが指名されず、常陸製作所に入社。 1年目から1番打者として活躍。 岩見沢光陵中時代は札幌新琴似シニアで三塁手としてプレー、3年夏には全国大会準優勝。 北海高では1年秋からベンチ入りし、2年春夏連続して甲子園に出場、夏は一塁手で3番を打った。 秋からは三塁手で4番。 仙台大では1年春からレギュラーとなり、秋には打率. 477、3本塁打、17打点で三冠王を獲得、MVPに選ばれた。 3年秋も首位打者を獲得。 4年秋にはリーグ史上最多の通算120安打を達成、打率. 500、4本塁打で首位打者と本塁打王を獲得して、MVPに選ばれた。 ベストナイン4回。 プロ志望届を提出したが指名されず、ホンダ鈴鹿に入社、外野で3番を打つ。 野々市中時代は白山能美ボーイズでプレーした。 大阪桐蔭高では2年秋からライトで3番を打ち、主将として3年春夏連覇。 U18日本代表にも選ばれる。 亜細亜大では1年春の開幕試合からレフトのレギュラーをつとめ、ベストナインに選ばれて大学日本代表。 植田中時代は軟式でプレーした。 学法石川高では1年秋からレフトのレギュラーとなる。 立正大では1年秋から二部リーグに出場し、2年春に外野手のレギュラーとなる。 4年春二部首位打者を獲得。 日本生命では1年目から4番を打つ。 大宰府東中時代は二日市ボーイズでプレーした。 九州国際大付高では5番を打って、2年選抜に出場。 白鴎大では1年春からリーグ戦に出場。 リーグ通算打率. 282、6本塁打。 三菱日立パワーシステムズに入社し、1年目から4番を打つ。

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